音楽を聴いて感ずる

自分は音楽を聴くのは好きである。

J-POPを主に聴くが書きたい事は感覚についてである。

普段考え事をするのが好きなので、音楽についても解放感一杯で何も考えず聴くこともあるが、どうゆう構成なのか、どんな音を使っているのか、雰囲気をどのように出しているのか、とこだわりを持って聴くこともある。前者の気分転換的な聴き方と後者の分析しながらの聴き方はおよそ半々である。

自分が好きなミュージシャンは上記のどちらの聴き方をしても存分に楽しめる。だからいつも聴いてる。

音楽をするにしても何か球技をするにしても頭を使いながら行うってのは非常に充実したものを味わえるのだろう。自分も、音を奏でるや身体を動かすなどを頭を使ってやりたいと思っている。もっと早い段階で気が付けていたならば人生はもっと楽しさも得られてのではないか。

まだ後悔するには早いが再開が簡単でないだけに勝手に袋小路にしてきたこれらを悔やんでいる。

さあ、どうしよう。

全てに通ずるものであるが、まずは諦めないことであろう。そこにアンテナだけでも立てておいて、まずは忘れない事が重要なのだと考える。次にそれを実現するための計画を練る必要はあるのだろう。ステップを重ねて持続させる事を目指す。

さあ、何をしようかな。

ビールとか

今回のテーマはビールとか、である。

ビールとか、とかいうのは第2、第3とかも含めての表現である。

やはりこの時期は仕事の後には一杯いきたくなるものである。最初の一口ってのはどうしてもあんなに旨いものか。あの爽快感は何物にも変えられない。

しかし、二口目というのはその感動が半減以下になってしまう事がよくある。どうしてあんなに違うのだろう。あと2杯目、3杯目と飲んでも感動は変わらない。だから自分はおつまみのお供として楽しんでいる。

ところで、ビールとかにはビール、第2のビール、第3のビールとあるが、飲んで意外とはっきり区別がつくものである。

ビールで言えば飲んだ時のコクがあり、原材料を味わうような感覚を得られる。

第2のビールで言えばビールと比べると飲んだ時にアルコール感が否めない。しかし、ビールには劣るが旨さを感じる事は出来る。

第3のビールで言えばビールというカテゴリをキープするのが大変なように感じてしまう。ビールと比べて原材料コストも抑えて且つビール感を出そうと開発者は相当の努力をなされているものと思われる。飲んだ時にそんな味わいがする。あとは飲んだ時の喉越しとかコク感等で精一杯のカバーをしているように感じる。

自分は価格で飲んでいたが、最近は味わいの優先度も上昇させ第2のビールでお気に入りを飲んでいる。ビールが日常で飲めてしまったら贅沢だろうな。

歩み

歩みというと、自分は何かを育むことを連想する。自分は常に何かしらの目標を持ち、活動をし、スキルを養っている。

何かしらの活動について、自分はやりたい事、続けて趣味にとして人に言えるまでの事が実はたくさんあるが、それらは殆どやりないなぁの願望で止まっている。

自分は仕事が充実していると趣味も充実する。逆に仕事が充実してないと趣味も充実しない。それは自分の行動が物語っている。

仕事が充実していないと自分は仕事を充実させる事をまず優先させる。空いた時間は学習にあてたり、お付き合いにあてたり。

ここ数年空いた時間はだいたい学習等を経て仕事の充実を目標に過ごしている。

やりたい事は一つ目の前にあるのに、その手前にやらなければならない事が立ちはだかり、それを熟すのに時間を要している。

こうして今までを振り返っていられるのは目の前にあるものがやりたい事になったからだ。

今まで立ちはだかってきたやらなければならない事よりずっとレベルの高い事。しかしそれに挑んでいる自分は至って爽快だ。全力で臨める。

真っ向勝負、という言葉が乗ったコマーシャルが流れているが、今の自分は正に真っ向勝負である。

しかし、老舗のビッグクラブに挑むよりかは余程簡単なはずだ。

歩く

タイトルに対して自分は二つの事を考える。

一つは単純に身体を動かす事であり、もう一つは物事を経ていく歩みである。

それぞれについて書いてみたい。

単純に歩く、は自分はとても好きである。一人で過ごす時間も求める自分にとっては必要不可欠である。

歩く行為は身体を動かしているためか、何も考えなくても良い状態になる。また、自分のペースで進めてストレスも溜まらない。周囲の景色を楽しんだり出来る。たまに音楽も聴きながら歩いたりもするが、それらは相当の気分転換になる。

季節ごとによる感動もある。春になれば桜を楽しみながら。初夏になれば新緑を楽しみながら。真夏は蝉の鳴き声を楽しみながら、しかし、夏は暑過ぎるのであまり散歩はしない。秋になれば紅葉をたのしみながら。冬になれば暖かな日差しを楽しみながら。

そんな四季折々を過ごしながら、自分は常に物事の道を歩いている。つまりは常に何かしらの目的を持った活動をしてる。

何かしらの目的を持った活動については「歩み」で書かせて貰いたい。

最近めっきり身体を動かせていない。今は事情があり動かせない状態ではあるが、それが快復しても相変わらずだろう。

やりたいスポーツがある、それはサッカー。ヨーロッパのサッカーリーグは見ていてとても興奮する。あそこまではいかずとも、1プレイヤーとして存分にフィールドを走りたいものだ。

そのためにはまず、歩く事を増やし、走る事も増やしていく必要があるだろう。

 

 

 

ソフトめん

この言葉を聞くとテンションがあがる。

今年も夏に対してのイベントが多く催されているが、六本木で行われているイベントでは、その建物の社員食堂での飲食がイベント期間中は可能らしい。

どんなものが食べられるのか、でソフトめんが出てきた。

どうやら、昔懐かしいメニューを出す、という事で生まれたアイテムらしく、他に揚げパンなども同時に登場するらしい。

ソフトめんと言えば、懐かしさの象徴であり、間違いなく自分は小学校時代のとても楽しかった思い出が込み上げてくる。

あの頃の自分は何をしていたかなぁ・・・

それなりに悩みもあっただろうに、でも今まったく憶えていないところを見ると大した悩みでもなかったのだろう。

常にだが、自分の周りには自分に危害を与える人と、自分を助けてくれる人が存在していたと思う。

学生時代、自分は周りの人に多く助けて貰った。

本当に感謝している。今でもお世話になった面々は憶えているし、やはり良い思い出としいて懐かしさとともに込み上げてくる。

と、ソフトめんのような懐かしアイテムが出てくると色々考える。

つまりは同心に帰るのだが。

最近の自分にとっては結構憩いの時間であり、ついつい欲しがってしまうトピックスである。

 

今月は勝負の月

ようやくようやくこの時が来たような感じがする。

今月は大きな仕事を一気に3つも掛けもって実践中である。

久しぶりに本気を出している。

こんな時に思う、今までの自分は忙しそうにしていて、実は「暇」だったのだと。

遥か遠い儲け話にやっきになって熱を入れ、メルマガを必死に読み続けていた。

今月の自分からすれば、それ以外にもやることは幾らでもあっただろうと。

少なくとも今月やってる事は今まで幾らでも時間があったはずなのだから実践出来たはずだ。

後悔しても始まらないので、今この時を無駄にせず、且つ来月以降も「暇」にせっかく気づけたのだから、本当にやらなければならない事を引き続き実践しようと思う。

しかし、やはり自分はある程度追い込まれた方が、威力を発揮出来るものだと再認識した。今までの生活がやはり軽かったのだろう。

月々の出費に冷や汗をかいている余裕がなくなってしまった。

子供のいる親とかはこんな切羽詰まった感覚なのだろう。

同級生にも子供がいる。

ある日、軽く説教染みた会話になり、自分は持論を貫いたけど、その同級生の言っている事も間違ってはいない。今威力を発揮している自分にはそれを感じる事が出来る。

さあ、今月は数年に一度のビッグチャンスが訪れた!

今月から継続して今年を、来年を駆け抜ける事を誓ってこの文を終わりにする。

 

おかげさまで

皆様のご厚意にて、
ちょとずつではありますが、友達が増えております。

私から友達の申請はしておりませんので、
皆様さまさまです。

てな訳で最近感じたのですが、
申請をして頂いた方が、私が生きてきた中で、
各方々にて出会った人たちなので、
facebookで繋がっている友達に対し、
「らしい」と一言感じました。

「類は友を呼ぶ」
こんな言葉がありますが、
私が友人に招いて頂く度に、
そんな事を感じてます。

決して安定はしていない人生ですが、
「一期一会」、そこからの再会、
これはこれで良いもんだ、と感じました。

色んなとこで色んな人に会う
これからも貴重な財産として
大事にしていきたいです。

生憎、
今の仕事は定期的に新しい出会いを求められる仕事なので、
積極的に出会いを楽しみたいと思います。

皆さん、
引き続きお付き合いの程、
宜しく頼みます。

この記事を書いたのは丁度3年前になります。

とてもポジティブな発言で当時のエネルギーを強く感じます。

あれから友達は増えました、ですが最近はめっきりビジネス趣向にあのツールをあててしまっているため、そういったビジネス繋がりの方との申請のやりとりが増えました。

別に否定をしている訳ではありません。

いつしか、そればかりを追いかけて遊びやゆとりが減っているのは正直なところです。

電車に揺られて

電車を降りるときに
「 (席譲って貰って)ありがとうございました。」

って声が幾つも飛び交う車内が
とても暖かく感じた今日この頃。

いや、今さっき。

脳ミソが楽な気分になる。

若者がお年寄りに席を譲るのが
結構一般化してる様に感じる。

嬉しい気持ちになった。

自分もある程度年齢を重ねて、20代に対して若さを感じるようになっている最近。

自分も外身が傷ついたり、中身が傷ついたりと、まあそれなりに大変な思いも皆と同じようにしている訳で、と思うとまだ頑張れる。

戦っているのは自分だけじゃない。

皆それぞれが何かの悩みを抱えて生きている。

あなただけじゃない。

僕だってそうなんだ。

なんかあの歌の歌詞っぽいな。

1996年、今から20年も前なのに、あの歌は色あせなく自分の胸に響いている。

思えば原点、同心に帰りたい時なんかはよく聞いていた。

今も継続して聞いている訳だが、時の流れはその形も変える事となる。

あの人がいなくなってあのボリューム感はいなくなってしまったような感じさえする。

やはり、2つで1つを創っていたからもの凄く良いものが出来ていたんだと今回の新譜を聞いて強く思った。

そういえば、電車って想像が結びつく歌ってあったっけ・・・

今、思い出してもピンとこない。

この続きはまたいつか。