「外出先」カテゴリーアーカイブ

歩み

歩みというと、自分は何かを育むことを連想する。自分は常に何かしらの目標を持ち、活動をし、スキルを養っている。

何かしらの活動について、自分はやりたい事、続けて趣味にとして人に言えるまでの事が実はたくさんあるが、それらは殆どやりないなぁの願望で止まっている。

自分は仕事が充実していると趣味も充実する。逆に仕事が充実してないと趣味も充実しない。それは自分の行動が物語っている。

仕事が充実していないと自分は仕事を充実させる事をまず優先させる。空いた時間は学習にあてたり、お付き合いにあてたり。

ここ数年空いた時間はだいたい学習等を経て仕事の充実を目標に過ごしている。

やりたい事は一つ目の前にあるのに、その手前にやらなければならない事が立ちはだかり、それを熟すのに時間を要している。

こうして今までを振り返っていられるのは目の前にあるものがやりたい事になったからだ。

今まで立ちはだかってきたやらなければならない事よりずっとレベルの高い事。しかしそれに挑んでいる自分は至って爽快だ。全力で臨める。

真っ向勝負、という言葉が乗ったコマーシャルが流れているが、今の自分は正に真っ向勝負である。

しかし、老舗のビッグクラブに挑むよりかは余程簡単なはずだ。

歩く

タイトルに対して自分は二つの事を考える。

一つは単純に身体を動かす事であり、もう一つは物事を経ていく歩みである。

それぞれについて書いてみたい。

単純に歩く、は自分はとても好きである。一人で過ごす時間も求める自分にとっては必要不可欠である。

歩く行為は身体を動かしているためか、何も考えなくても良い状態になる。また、自分のペースで進めてストレスも溜まらない。周囲の景色を楽しんだり出来る。たまに音楽も聴きながら歩いたりもするが、それらは相当の気分転換になる。

季節ごとによる感動もある。春になれば桜を楽しみながら。初夏になれば新緑を楽しみながら。真夏は蝉の鳴き声を楽しみながら、しかし、夏は暑過ぎるのであまり散歩はしない。秋になれば紅葉をたのしみながら。冬になれば暖かな日差しを楽しみながら。

そんな四季折々を過ごしながら、自分は常に物事の道を歩いている。つまりは常に何かしらの目的を持った活動をしてる。

何かしらの目的を持った活動については「歩み」で書かせて貰いたい。

最近めっきり身体を動かせていない。今は事情があり動かせない状態ではあるが、それが快復しても相変わらずだろう。

やりたいスポーツがある、それはサッカー。ヨーロッパのサッカーリーグは見ていてとても興奮する。あそこまではいかずとも、1プレイヤーとして存分にフィールドを走りたいものだ。

そのためにはまず、歩く事を増やし、走る事も増やしていく必要があるだろう。

 

 

 

電車に揺られて

電車を降りるときに
「 (席譲って貰って)ありがとうございました。」

って声が幾つも飛び交う車内が
とても暖かく感じた今日この頃。

いや、今さっき。

脳ミソが楽な気分になる。

若者がお年寄りに席を譲るのが
結構一般化してる様に感じる。

嬉しい気持ちになった。

自分もある程度年齢を重ねて、20代に対して若さを感じるようになっている最近。

自分も外身が傷ついたり、中身が傷ついたりと、まあそれなりに大変な思いも皆と同じようにしている訳で、と思うとまだ頑張れる。

戦っているのは自分だけじゃない。

皆それぞれが何かの悩みを抱えて生きている。

あなただけじゃない。

僕だってそうなんだ。

なんかあの歌の歌詞っぽいな。

1996年、今から20年も前なのに、あの歌は色あせなく自分の胸に響いている。

思えば原点、同心に帰りたい時なんかはよく聞いていた。

今も継続して聞いている訳だが、時の流れはその形も変える事となる。

あの人がいなくなってあのボリューム感はいなくなってしまったような感じさえする。

やはり、2つで1つを創っていたからもの凄く良いものが出来ていたんだと今回の新譜を聞いて強く思った。

そういえば、電車って想像が結びつく歌ってあったっけ・・・

今、思い出してもピンとこない。

この続きはまたいつか。